さて、今回は「江戸の三富」の寺社をご紹介:
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宝くじはやっぱり買ったなら当選したいですよね~
そもそも、宝くじの起源と言える富籤(富くじ)は、当初より社会基盤維持のための普請としての意味合いが強く、享保時代以降は主に寺社普請のための富くじ興行が行われてきたそうです。
とりわけ江戸時代においては湯島天神、目黒不動、そして谷中感応寺(現在の天王寺)は「江戸の三富」と称され、庶民の間で人気を博していました。
今日はそんな富くじの歴史を飾ったこられの「江戸の三富」の寺社をご紹介♪
まずは、「湯島天満宮(湯島天神)」。学問の神様として敬われている菅原道真公が祀られています。

湯島天神は湯島の郷民の請願によって菅原道真公を歓請して合祀しました。文明10年には太田道灌によって社殿が修建されています。江戸時代になってからは徳川家康をはじめ多くの将軍の厚い庇護のもと隆盛をきわめることになります。
幕府の朱印地になって以来、湯島天神は林道春や新井白石など多くの学者から文神として崇められてきました。
現在もその名残りからか、学業成就のご利益で有名な湯島天神ですが、江戸時代の富くじに因み、くじ運、勝負運の神さまとして、宝くじ運などにもご利益があるとされています。
続いて日暮里にある「天王寺(谷中感応寺)」。

幕府公認の富くじ興行は、享保15年に京都仁和寺が江戸音羽護国寺境内で行ったものが最初と考えられてきましたが、近年発見された天王寺の史料によって、それより前の元禄末年には感応寺で興行していたことが明らかになりました。
ここは、富くじ興行の原点となる場所と言えそうです。
そして、「江戸の三富」の最後を飾るのは、目黒不動尊の名で知られる「瀧泉寺」です。

大同3年に慈覚大師が開創したとされる目黒不動は、徳川家光が堂塔伽藍を造営して以来幕府から手厚い保護を受けるようになり、江戸近郊における最も有名な参拝行楽の場所になりました。
以上「江戸の三富」と言われる寺社ですが、いずれも宝くじのみならず、勝負運・ひいてはひきの強さを招いてくれるようですね。
富くじの最盛期は文化・文政時代で、官許の富くじが江戸だけで31ヵ所もありました。多い月には20回以上開催されたようです。
当時、あまりにも高額な当せん金は庶民の心を過度にあおったため、富くじは水野忠邦の天保の改革によって禁令が出され、廃止されたそうですが、庶民の富くじ人気は衰えることなく、禁令後もしばしば行われていたようです。
今も昔もやっぱり我々庶民にとって宝くじは当たったら・・と大きな夢を抱かせてくれるものなのかもしれませんね。
宝くじを買ったら、是非上記いずれかの「江戸の三富」に参拝するとご利益あるかも?!
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