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ネパール最大の盆地「カトマンズの渓谷」

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世界中のバックパッカーに絶大な人気のネパール。今回はそのネパール最大の盆地である「カトマンズの渓谷」をご紹介

ネパールの太陽はおとめ座、月はいて座に位置しています。あなたとネパールの相性があうかは文末をごらんください

★ちなみに上記の星座の人の性格を見ると・・

あなたの太陽がおとめ座なら明日にしようというのでなく今日中に何とかするとか後回しではなく今やるというように考えるようにとてもオーガナイズド・きちんとしています。几帳面で感情的にも常に混乱しないように励んでいるところがあります。

あなたの月がいて座なら鋭い洞察力と回転の良さを持ちすぐに物事を見極める事が出来ます。素晴らしいゴールを心に描き、失敗にもくじけずに突き進んでいけます。

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「カトマンズの渓谷」

標高約1,350mの高地にありながら、一年を通して温暖な気候に恵まれています。

太古の昔は湖だった肥沃な土地で、古くから交易・文化の要衝として機能すると同時に、ヒンドゥー教と仏教が共存する独特の宗教文化を育んできました。

「カンティプール(栄光の都)」と称えられるネパールの首都カトマンズ。

旧市街中心のダルバール広場は、ハヌマン・ドカ(旧王宮)に面し、周囲には生き神クマリが暮らす館や多くの寺院などがあります。

カトマンズ2

町を見下ろす丘の上にあるのは、ネパール最古の寺院スワヤンブナート。仏塔の四方にすべてを見通すブッダの目が描かれていることから、目玉寺とも呼ばれており、ネパール仏教にとっては最も重要な仏塔です。

マッラ王朝時代の15世紀、カトマンズ、パタン、バクタプルにそれぞれ王子を配置しました。

その王子たちが、それぞれ王国を築き、競うように宮殿や寺院、堂塔などを建立。建築・彫刻・工芸など、芸術性の高いネワール文化が花開いたのです。

これら伝統建築の多くは老朽化が激しく、また急激な都市化で美しい町並みが失われつつありましたが、現在は国の支援や復旧によって、かつての姿を取り戻しつつあります。

レンガと木材を使ったネワール様式の町並みは、日本の古都にも似て、どこか懐かしさを感じさせます。

17世紀の歴史的な建造物が多く残るカトマンズ盆地、そしてここカトマンズは、ヒマラヤ登山を志す者がほぼここで旅の支度をするそうです。

中国のチベット自治区側からは規制が厳しく、ネパール側から登る人が多いためであり、ネパールの最大都市であるカトマンズで必要なものを取り揃えるからです。

カトマンズは多くの目的を持った人々にとって魅力的な場所のようですね

★★あなたとこの土地の相性の見方は続きをご覧ください
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敦煌莫高窟(中国)

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今回は、世界で現存する規模が最も大きく、保存が最もよい仏教芸術の宝庫の中国・「莫高窟(ばっこうくつ)」をご紹介♪

中国の太陽はてんびん座、月はみずがめ座に位置しています。あなたと中国の相性があうかは文末をごらんください

★ちなみに上記の星座の人の性格を見ると・・

あなたの太陽がてんびん座なら、リレーションシップの星座であるてんびん座はエネルギーを人々-パートナー・友達・家族・ビジネス仲間などあらゆる人に注ぎます。人と一緒というのがテーマですがリレーションシップにおいての自分自身に興味があるのです。

またあなたの月がみずがめ座なら、理性があり、イマジネ-ティブ。この月の人は激しい気質のところがありません。すごく感情的でもなくすごく頭でっかちな考え方でもない。とても活気に満ちておりステキな会話もでき楽しい人。

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「莫高窟(ばっこうくつ)」

中国莫高窟2

中国西北部甘粛省敦煌市郊外に、「鳴沙山」という山があり、東麓の絶壁の上に、南北全長約2キロの山腹に五段階に分けて数え切れない石窟が掘られました。これが世界で有名な”敦煌莫高窟”です。

莫高窟の開削は、前秦の建元二年(366年)から始まり、歴代の王朝の修造を経て洞窟の数は絶えず増え、七世紀唐の時代に、莫高窟には1000個の洞窟があったそうです。

洞窟には、大量の彩色塑像と壁画があります。

また、敦煌莫高窟は、古代シルクロードの交通の要所に位置したことから、東西の宗教、文化および知識を融合しあう接点でもあったため、外来の様々な文化芸術と中国の各民族の芸術が融合された莫高窟は、豊富多彩な芸術風格を持ったのです。

1900年、敦煌莫高窟では、大量の経文を保存した洞窟が偶然に発見され、「蔵経洞」と呼ばれました。

長さと幅がそれぞれ3メートルであるこの「蔵経洞」には、漢語、チベット語などの文字で書かれた経典、古文書の巻物類、絹や紙、麻布に書かれた仏画類、拓本などまれに見る文化財などが5万件に上りました。

年代は、紀元4世紀から11世紀にかけ、その題材は中国、中央アジア、南アジア、欧州などの地域の歴史、地理、政治、民族、軍事、言語文字、文学技術、宗教、医学、科学技術などすべての分野に及び、「中古時代の百科全書」と称されたのです。

すごいですよねぇ~ 

蔵経洞発見後、世界各国の「探検家」が群がってやってきて、20年も経たないうちに、これらの「探検家」は前後として4万件に及ぶ経書や珍しい壁画、塑像などを盗んだり運び出したりしたそうです。

各国の人々がそれぞれの国へ持ち帰ったために敦煌文献は各国に散らばっています。

スタインが持ち帰った文献は大英図書館に、ペリオのものはフランス国立図書館に、清政府のものは北京図書館に収蔵されました。

日本の大谷探検隊のものは、龍谷大学・東京国立博物館・中国の旅順博物館に分蔵されているそうです。

ロシアではサンクトペテルブルクの科学アカデミー東洋学研究所、他にはフランスのギメ美術館、ロシアのエルミタージュ美術館、アメリカのハーヴァード大学付属フォッグ美術館などにも存在しているとのこと。

このような状態であったので当初は各研究機関がバラバラに研究を進めていましたが、マイクロフィルムにより貸し出しが可能となり、国際的な研究が進むようになり、各国の代表たちが集まって行われる国際シンポジウムも多数開かれており、その学問としての多彩さは「敦煌学」と言う言葉すら生み出しているのです。

莫高窟から発見された敦煌文献ですが、さすがに三千年・四千年の歴史と言われる中国ですよね。

1000年に渡って掘り続けられたと言われる莫高窟は、古代シルクロードがいかに発展していたかを物語り、また洞窟と中にあった文献などすべてがすばらしいですよね。

★ここ中国は西洋占星術の上でのホロスコープを見ると、太陽はてんびん座・月はみずがめ座となっています★

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